「今も見守ってくれている」 水俣病研究の第一人者、原田正純医師没後10年 胎児性患者ら赤いバラ手向け人柄しのぶ

「今も見守ってくれている」 水俣病研究の第一人者、原田正純医師没後10年 胎児性患者ら赤いバラ手向け人柄しのぶ

 

 

 「公害の原点」とされる水俣病研究の第一人者だった医師、原田正純さん=鹿児島県さつま町出身=が急性骨髄性白血病のため、77歳で亡くなってから11日で10年を迎えた。原田さんが寄贈した地蔵像が立つ熊本県水俣市の埋め立て地、エコパーク水俣の親水護岸には、原田さんが好んだという赤いバラを手に患者らが集まった。「今も見守ってくれている」。半世紀にわたり患者に寄り添い、被害救済を訴えた功績と人柄をしのんだ。

 

【写真】原田正純さんが寄贈した地蔵像と水俣病患者らが手向けた赤いバラ

 

 親水護岸では、胎児性患者の坂本しのぶさん(65)や水俣病被害者互助会の会員ら10人ほどが、原田さんの遺骨がまかれた八代海に向かって手を合わせた。犠牲者を見守ってほしいと願いを込めた地蔵像にバラの花を一人ずつ手向け「先生、ありがとう」と語りかけた。

 

 原田さんは、ラ・サール高校から熊本大学医学部に進み、大学院在籍中の1961年から水俣に通って患者を診察した。一軒一軒回って症例を集め、「胎盤は毒物を通さない」とされた当時の定説を覆して胎児性水俣病を立証した。水俣病を医学にとどまらず政治、社会学など多面的に探る「水俣学」を提唱。世界に発信しながら、患者の救済を訴え続けた。

 

 胎児性患者と世代が重なる未認定の互助会会員が国などに損害賠償を求めた訴訟では、原告側の証人として証言台に立った。同会の谷洋一事務局長(73)は「実態が解明されていない胎児期世代の水俣病を実証する必要性を感じていたのだろう」と振り返る。

 

 原田さんの死後も続いた損害賠償請求訴訟で、熊本地裁は2014年、原告8人のうち3人を患者と認めた。しかし、20年の高裁判決は全員の請求を棄却。最高裁は今年3月、上告を退けた。原告らが患者認定を求めた訴訟でも、熊本地裁が3月に請求を退け、厳しい闘いが続く。

 

 親水護岸には、原告の一人で出水市の女性(62)の姿もあった。病気を押して法廷に立った原田さんの姿が脳裏に焼き付き、裁判の支えになっている。認定患者だった両親のもとを何回も訪れ、話を聞いてくれた。自身も40代になってから診察を受けた。

 

 「患者の立場で考えてくれる気さくな先生だった。10年たった今もきっと見守ってくれている」。バラの花を手に原田さんが眠る八代海を見詰めた。

 

南日本新聞 | 鹿児島