場面緘黙症の女性が「引っ込み思案」で見過ごされた幼少時代を回顧

場面緘黙症の女性が「引っ込み思案」で見過ごされた幼少時代を回顧

 

 

和歌山県発信の映画『紀州騎士~きしゅうでないとぉ!~』(2021)で企画・主演を務めた七海薫子さん。映画の主人公は、幼い頃に場面緘黙(ばめんかんもく)症だったという設定ですが、これは七海さん自身の経験が原案となっています。

 

【画像】学生時代は本来の自分を隠していたという七海薫子さん(写真4枚)

 

引っ込み思案と区別がつきにくい「場面緘黙症」

── 場面緘黙症について教えていただけますか?

 

七海さん:

場面緘黙というのは、特定の場所で話すことができなくなる精神疾患です。例えば家ではおしゃべりで、家族とのコミュニケーションはできるのに、家族以外や学校では全く話すことができなくなるといった症状があります。不安症の一種で、選択性緘黙とも呼ばれます。

 

私に最初の症状が出たのは、初めての社会経験の場である幼稚園です。「行ってきます!」と元気に家を出るのですが、幼稚園に着くと門から入れないんです。当時は場面緘黙という言葉も知らなかったですし、親もちょっと引っ込み思案な子だな、くらいの印象だったと思います。

 

── 引っ込み思案と場面緘黙の区別、難しそうです。

 

七海さん:

ちょっと引っ込み思案な子のまま小学校に進んだのですが、給食の時間が大変で…。私は今、40歳なのですが、当時はまだ学校の先生はビシバシ叱るし、体罰も普通にありました。

 

給食が食べられないと、掃除の時間まで残されて食べさせられます。食べられない理由を話すことができないから、「どうして何も言わないの?」と責められて、余計にまた話せなくなってしまうという悪循環に陥ってしまって、本当に辛かったです。

 

担任の先生が替わったり、友達ができ始めると少し症状は良くなっていったのですが、今度は話し始めると止まらなくなってしまって。人とのちょうどいい距離感がつかめず、「調子に乗るな、しゃべるな」と言われるようになり、人と話すことが怖いと思うようになってしまいました。

 

── せっかく話せるようになったのに…。

 

七海さん:

私の場合、チック症もあったし、トイレに行く回数もとにかく多いなど、いろいろな神経症が重なっていました。でも、これは今振り返って思えば、という話なんです。

 

今のように、さまざまな病気や症状が明らかになっていた時代ではなかったですし、両親は商売を始めたばかりですごく忙しい時期で、祖母と一緒に過ごすことが多くて。気づいてもらえる環境にもなかったし、自分から相談することもないまま、大人になってしまいました。

 

 

本来の自分を隠し“目立たない普通の人”を演じていた

── 場面緘黙症だと分かったのはいつ頃なのでしょうか。

 

七海さん:

社会人になりカウンセリングを受けてからです。症状に名前がついたことで、自分の行動を振り返り、いろいろなことに納得がいきました。高校や大学に進んだ当時は症状の名前がはっきり分かっていない状態なので、1人でもがき続けていました。

 

それこそ、小学校、中学校で「人付き合い」に失敗しているので、気づいたら処世術が身についていました。しゃべらなければ注意もされないし、目立たなければ叩かれない。いつの間にか、嫌われないように黙っていよう、と本来の自分を隠して“目立たない普通の人”を演じていました。

 

── 本来の自分とは?

 

七海さん:

本当は話すことは大好きだし、人前に出ることも嫌いじゃない。むしろ、出たいと思っていたくらいです。変わりたいと思っても変わる勇気がなくて…。大学のときは友達もいましたが、距離の取り方が上手じゃないから、嫌われないようにあまりしゃべらないようにしていたら、今度はコミュ障のように思われてしまったりして。

 

変わりたい気持ちを抱え悶々としていた頃、母が大阪でモデルの事務所に履歴書を送って「やってみれば?」と背中を押してくれたんです。これが転機になりました。

 

まず、事務所に所属したことで芸能界の方と会う機会が増えました。自分のことを知らない人たちと会うことは、私にとってとても心地よくて。自由に振る舞えるし、新しい評価をもらえることもあって、「ここを私の居場所にできるのでは?」と考えるようになりました。

 

居場所を見つけて発信することが自信に

── 芸能界という居場所を見つけてからは、本来の自分をどんどん出すことができたのでしょうか?

 

七海さん:

確かに人前に出て話せることによろこびを感じてはいたのですが、また別の鎧を着るようになってしまいまして…。

 

「私は緊張してないよ」と見せるために、本当は心臓バクバクで汗もダラダラ、トイレは相変わらずたくさん行くし、全然大丈夫な状態ではありませんでした。ガチガチの状態でオーディションに行くのですが、「私は全然大丈夫」というキャラクターを演じていました。本来の自分を出さないことに慣れてしまい、一生懸命取り繕うような癖が身についていたのかもしれません。

 

── 鎧が取れて、本来の自分が思いっきり出せるようになったのはいつ頃ですか?

 

七海さん:

今も基本は変わっていないです。自分のことを話すインタビューは別ですが、極論を言えば女優もリポーターも台本があるから、本当の自分を出さなくても乗り切ることはできます。そういう意味では合っている職業なのかもしれません(笑)。

 

本当に鎧が取れたと思ったのは、この映画を企画してからです。自分発信の企画が一本の映画になったことは自信につながりましたし、映画の中で自分の子ども時代にタイムスリップするシーンを作ることで、当時頑張っていた自分自身を褒めて、受け入れることができたことはすごく大きかったです。

 

取材・文/タナカシノブ